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きょうの言葉(4月前半) きょうの言葉は、平日に掲載されます。

*礼儀を乱さず、へりくだりて、我が為には悪しくとも、人の為によき様にすれば、いつも初会の様にて、仲悪しくなることなし。(山本常朝:江戸中期の学者)

親しき仲にも礼儀あり。 礼儀と謙虚な気持ちと思いやりの心を大切にしていれば、人はいつも初めて会った時の様にいられる。 これが人間関係を円滑にするコツである。 しかし、人間は得てして、月日を重ねてくると、ついなれなれしくなってきて、知らず知らずのうちに相手の心を傷つけてしまう。 こうなると、お互い顔を見るのも嫌だという状態になる。 人それぞれ、生まれも、育ちも、性格も違うのだ。 自分が平気だからと言って、相手も平気という道理はない。 そこで必要なのは、この言葉通りの行動である。H29-4-14

*凡そ何事を為すにも、至誠をもって基礎としなければ、成功させることは難しいのである。(波多野鶴吉:明治・大正の実業家)

この後に「たとえ一旦は成功しても、砂上の楼閣のようなものである。」と続く。 どのような人も、一度や二度は、ビギナーズラックという言葉が示しているように、成功する場合があるのは確かだ。 だが結局は、長続きしない。 仕事には誠実さが必要であるからである。 仕事は、自分だけではできないのだ。 一つの仕事が成し遂げられるには、顧客がおり、パートナーや従業員、そして協力会社、アドバイザー等の人達の協力なしには考えられない。 当然、これら人々の相互関係の中には、信頼関係があるからこそ上手く成り立っていることを知るべきである。H29-4-13

*他人の不幸は我が身の幸せ。

誤解しないでもらいたいが、この言葉は、何も他人の不幸を望めと言っているのではない。 多くの人が、この言葉通りに思っていることを知っておいた方が良いと言っているのだ。 とかく人は、自分が幸せの時は、他人を思いやる気持ちを持つが、不幸になってくると、他人の幸せが妬ましく思えるものだ。 苦しい状況の中で、他人を思いやれる人は稀であり、一人でも多くこのような人が増えれば、世の中全体が幸せになる。 先ずは自分が幸せと感ずる状況を作ることだ。 そうなれば、他人を妬むことはない。 この考えが広がれば、他人の不幸を願う不届き者はいなくなるのが道理である。 だが、なかなかに難しい。H29-4-12

*花は盛りに、月は隈なきを見るものかわ。(吉田兼好:徒然草の著者)

花は満開の時だけが美しいのではない。 七部咲き、散り際にもそれぞれ風情があり、また、月も雲一つない満月だけが美しいのではなく、雲に隠れた朧月もまた風情があって美しいものだ。 人間も同じで、何でもパーフェクトな人間だけが素晴らしい訳ではなく、多少欠点があるくらいの人間の方が、人間的魅力があるということを言っている。 人は、とかく完璧を求めたがる。 それもまた必要なことである。 この気持ちが無ければ、人の向上は有り得ない。 だが人間には限界があることも確かだ。 この限界を超えた完璧を求めると、人は精神を病む。 注意すべきことだ。H29-4-11

*君子は日に三転す。

よく朝令暮改を、命令や方針が絶えず改められて、あてにならないこととして、信念が無いとか、場当たり的と、非難の言葉として使われる。 だが、君子はそれを日に三回も変えてしまうと言っている。 松下電器のオーナー松下翁も、朝令暮改ならぬ朝令朝改ということをよくやったという。 松下翁曰く、人間は日々進歩している、私の場合は、一時間後には一時間後なりの進歩をしているので、その進歩の結果として、考えが改まるのは当然のことだと言っているのだ。 友よ、良いと思ったら、固定概念にとらわれず、直ぐにでも変えられる柔軟さを持とうではないか。H29-4-10

*有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。(バーナード・ショー:イギリスの劇作家)

賢い人は、言動ばかりでなく行動も伴う。 いわば、有言実行の人である。 だが、無能な人は、言うばかりで行動に移さない。 一般に言う口舌の徒である。 目の前に木の実があって、いくら拾え拾えと喚いたところで、木の実が自分から転がってくる訳でもなく、結局のところ、自ら拾わなければ、誰かに持って行かれてしまう。 無能な人は、この道理が分からない。 講釈ばかりすることによって、自分の言葉で自分に酔ってしまい、それだけで満足している。 こういう実行力のない人が、成功した例はない。H29-4-7

*人事を尽くして天命を待つ。(西洋の諺)

人は、目的を達成する為には一生懸命努力しなければならない。 だが、一生懸命努力したとはいえ、必ずしも良い結果が出るという訳ではない。 だが、努力をすると、必ずその成果を期待してしまい、心落ち着かなくなるものだ。 そんな時、人間の能力で出来る限りのことをし、事の成否は人知を越えたこととして、静かに天命にまかせ、結果がどう出ても悔いはないという心境を言っている。 それより友よ、自分は、事に当って、自信を持って天命を待てるだけの人事を尽くしたと言い切れるか。 これを問い直すと良い。H29-4-6

*身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。(諺)

物事は我が身を犠牲にする覚悟があって初めて、成し遂げることができるのがほとんどだ。 溺れかけた時、思い切って体を水にゆだねてしまえば、体が浮いて浅瀬に立つこともあるの意から、窮地に陥った時、自分の命を捨てたつもりになって思い切ってやれば、活路を見出すことができるということだ。 だが、どこの国とは言わないが、能力も実力もなく時の権力者になった者は、政治家にしろ、官僚にしろ、企業人にしろ、実に往生際が悪い。 恐らく、権力という甘い蜜にいつまでも浸っていたいのだろう。 だが、上に立つ者こそ、この言葉をかみしめ、出処進退を誤らないようにしたいものだ。H29-4-5

*意気地のない人や、何とかなるさと思って引っ込んでいるような人が、世の中を変えたためしはない。(ユンゲル・
E・シュレンプ:ダイムラー・ベンツの元会長兼CGO)

英断を下せない人や、誰かがやってくれる、どうにかなるさと思って何もしない人が、世の中を変えられる訳がない。所謂このような人は、リーダーシップが無い人であるからだ。 リーダーシップのない人は、自分にとって都合が悪くなると、簡単に前言を翻し、付いてきてくれる人を裏切ることが多い。 本人は裏切ってしまったことすら気がついていない。 これでは誰も着いて付いて行かなくなる。 物事は、多くの人が協力してくれなければ成らない。 協力者がいないリーダーシップのない人に、何程の事が出来ようか。 やはり、自分から積極的に動かないと、新しい道は開かれないのだ。H29-4-4

*他人の利益を図らずして、自らの繁栄は有り得ない。(吉田忠雄:YKK吉田工業創業者)

仕事や利益は常に回っているものであって、これを円滑に行う者が成功者となりうる。 自分の利益ばかり追っていては、世の中は成り立たない。 相手があるからこそ、仕事が回るのであって、お互いに利益が無ければ、回らなくなる。 周りに与えた分だけ、自分に戻ってくるものだ。 だが世の中には、自分だけが儲ければよい、自分だけが成功すれば良いと願っている人が如何に多いことか。 こういう人の所には、自分を富ませてくれるべき人は、決して寄ってはこない。 従って、自らの繁栄は有り得ないのである。 繁栄を得たかったら、先ずは、自他共栄を図るべきである。H29-4-3

きょうの言葉(4月後半) きょうの言葉は、平日に掲載されます。

*虚仮の一念。(諺)

愚かな者でも、一心不乱に物事に励めば、優れたことができるということだ。 この対句として、器用貧乏という言葉があるが、世の中には、この器用貧乏が何と多いことか。 中途半端に賢い人のことだ。 虚仮ということになると、自分が愚か者であるということを認めることになるので、プライドが許さないのか、小利口に振る舞おうとしてしまうのである。 だが、継続は力なり、己の分をわきまえて、コツコツと地道にやっている者には、結局、適わない。 いくら器用に世の中を立ち振る舞おうとしても、半端な賢者には成功はない。H29-4-28

*嫌なことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ。(田中角栄:元総理大臣)

最下層の立場から、実力で天下を取った人物らしい言葉だ。 言い方は悪いが、事実である。 自分でどうしようもないことには、余計な労力を使うべきでないし、嫌なことに対しては、いつまでもくよくよしないに限る。 時間の無駄である。 悩んで何とかなるのであれば、幾らでもくよくよ、うじうじすれば良いが、どんなに悩もうとも何ともならないのが現実だ。 それより、悩んでいる間に、良いことがどんどん通り過ぎて行ってしまう。 賢者は、嫌なことは直ちに忘れ、次に何をすべきかの方を重要と考える。 前進あるのみだ。H29-4-27

*実るほど頭を垂れる稲穂かな。(諺)

この言葉は誰でも知っている有名な言葉であるが、これを実践している人はほとんどいないと言ってよい。 誰しも自己顕示欲というものを持っているから、調子が良い時は、つい傲慢になったり、偉ぶったりしてしまうもので、これは、ある程度は、人間の性として、仕方ないようである。 だが君子たる者は、稲穂が実をつけ、熟してくると頭が重くなって、お辞儀をするが如く、垂れ下がってくることから、学問や徳が深まると、虚栄心を抑えて、自ずと謙虚になってくる。H29-4-26

*何もしない先から、僕は駄目だと決めてしまうのは、それあ怠惰だ。(太宰治:小説家)

何もしないで自分の限界を決めてしまうのは意気地なしだ。 失敗したっていいじゃないか。 やり直しだってできるし、出来ることから始めればきっと勇気もわいてくるだろう、という気持ちを伝えたかったのだと思うが、この言葉を言った本人が、自殺という手段でこの世と決別したのは、何とも残念だ。 余程のことがあったのだろう。 だが、この言葉自体は、我々を叱咤激励してくれる。 私は、この世に生を受けた者は、何事も前向きに努力した方が良いと思う。 だが人間は弱いもので、うつ状態となることも多い。 その時に、この言葉を思い出そう。H29-4-25

*睨まれて死ぬ者なし。(近松門左衛門:薩摩歌)

悲しいことであるが、現在、日本人は年間3万人以上が自殺しているという。 理由は良く解らないが、本人からしてみれば、それなりの理由があるのであろう。 だが、折角この世に生を受けた我が身である、大事にしたい。 自殺の理由としては、義理人情、浮世のしがらみ等人間関係が上手く行かず、衝動的に行動を起こしてしまうのが多いようだ。 だが、考えてみるがよい。 どんなに人から恨まれようが、憎まれようが、それだけで死ぬようなことは絶対ない。 死の呪縛から逃れた者は強い。 自分がこれだと思ったことは、人に何と思われようと、生きてやり通すことだ。H29-4-24

*百里の道も九十九里をもって半ばとす。(諺)

ゴールを目前にしても、まだ半ばまでしか到達できていないという思いで、気を引き締め直して、物事に取り掛からなければいけないと言っている。 油断を戒める言葉であるが、実際に、木に上った子供が、木の実を獲って降りてくる時、大概落ちる時は、降りる一歩手前の時であることが多いと言われている。 目の前にゴールが近づくと、安心のため油断するのと、極端に緊張しプレッシャーが掛り、体が思うように動かなくなるようだ。 スポーツの世界でも、気持ちの上で、ゴールを実際のゴールより先に設定して行うと、間違いなく記録は伸びている。 検討に値する事である。H29-4-21

*人間知恵を出せ、出せなければ汗を出せ、いずれも出せなければ黙って去るべし。

人間は、有能な人も無能の人も、それぞれ役割をもってこの世に生を受けている。 従って、全ての人が、その役割に沿って努力をしなければならぬ。 しかるに、世の中には、なんとこの役割を避け、要領よく立ち振る舞おうとする人の多いことか。 その人たちに贈りたい。 知恵という能力を持つ者は、知恵を出して人の役に立て。 だがその能力を持たぬ者は、額に汗して働け。 額に汗して働くのは、身障者でもない限り誰でもできるはずで、それができない者は、端から働く意思のない者である。 そういう者は、黙って去るぐらいのプライドは持ちたいものだ。H29-4-20

*獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、上がってきた子だけを育てる。(中国の故事)

自立心を養うためである。 一つ間違えば死ぬこともある。 だが、動物の世界では、それを這い上がって来れないようであれば、どうせ生存競争に負けて、命長らえることはないだろうとの覚悟を言っている。 それだけに必死である。 真剣である。 だが人間の世界はどうだろうか。 甘やかして育て、自分の思い通りに育たないからと言って嘆く。 不況の時に育った子どもと、バブルの時に育った子どもとでは、社会に出て、数段前者の方が使い物になるという。 家庭内暴力はいただけないが、愛情ある厳しい躾は必要だ。H29-4-19

*物事を成し遂げる為には的確な判断と、それを実現させる実行力が必要だ。

世の中にはとかく知識をひけらかすだけのご仁がいる。 知識とは、無いより有った方が良いという程度で、行動が伴わなければ、それは何の価値も生まない。 行動と不離一体のものである。 例えば飢えたる人がいた時、種を撒けば簡単に食物を得ることができると的確な判断を下すのが知識人だが、実際に人々を幸せにするのは、種を撒き、実を収穫して、周りの人に施す人たちである。 従って、知識人なる者は、もし自分に行動力が無い場合は、自分の手足となって行動してくれる者を育成することが肝要となる。 言うまでもないが、知識ある人が、行動力もあれば理想的であることを付け加えたい。H29-4-18

*蟹は甲羅に合わせて穴を掘る。(諺)

蟹は、自然界を生き抜く知恵として、自分の甲羅の大きさに合わせて巣穴を掘る。 小さく掘った場合は、敵に襲われても逃げ込めず、また逆に、大きく穴を掘った場合は、巣の中まで入って来られ、つかまってしまうことから、自分の身の丈に合った穴を掘るというのだ。 人間も、自分の身分や力量に見合った考え方や行動をしないと危険であると、自らを戒める時にこの言葉を引用する。 だが多くの人間は、自分を必要以上に大きく見せたい為、つい、分不相応な発言、行動をとって、不必要な敵を作っていることが何と多いことか。H29-4-17

きょうの言葉(5月前半) きょうの言葉は、平日に掲載されます。

*妻は若い時には愛人であり、中年には良い相談相手であり、老年には看護婦となる。(ベーコン:イギリスの哲学者)

これはベーコンの体験の言葉であろうか。 とすれば彼ほど幸福な男性は少ないと言える。 このようなパートナーを持った男性は、恐らく全ての男性の、男性としての理想であろう。 だがなかなかこうは行かない。 若い時の愛人としての関係は十分得られるであろうが、中年ではむしろ喧嘩相手となり、老年にはただの同棲相手はまだ良い方で、憎しみ合う夫婦ですらある。 こうならないように、その若き愛人同士である日々に、お互いが深く尊敬し合えるような生き方をするよう努めたい。 そうすることによって、このベーコンの言葉のようになれるのである。H29-5-15

*人生において交友の楽しみより貴重な快楽はない。(ベン・ジョンソン:イギリスの詩人)

友人との交わりというものは良いものだ。 年を取るほど交友の味は深くなる。 幼友だち、二十年、三十年の旧友ほど尊いものはない。 お互い何も求めない。 利害を超えてお互いの人間性を味わい合う。 それは時には恋愛などの喜びより一層深く、清く、高いこともある。 人生に於いて、この喜びを本当に持っている人は稀ではないだろうか。 恋愛は時にして一朝一夕にして得られることもあるが、しかし友情を育むには、実に長い年月を要する。 それだけの風雪にあった友情ほど尊きものはない。H29-5-12

*いかなる者と雖も、必ず急所を持つものだ。急所を見分け得るものは成功する。(横光利一:小説家)

ここでいう急所とは、「攻めどころ」と捉えると解かり易い。 ここを突っつけば、必ず上手く行くというポイントが、何にでもあるものだ。 それを知るには、普段からよく物事や人を観察することだ。 相手の攻めどころを知ることは、もちろんビジネスでも役に立つが、身近な人間関係を築く上でも役に立つ。 相手の急所をつかむ(心を知る)術を身につければ、部下に元気を出させたり、取引先とうまく交渉したり、子供にやる気を出させたり、家庭内の雰囲気をより良くしたりと、色々できるような気がする。H29-5-11

*もし好機が到来しなかったならば、自ら好機を作り出せ。(スマイルズ:イギリスの著述家)

世の中は、機会が到来するのを待ってさえいれば、いつか機会が飛び込んで来てくれるほど甘くはない。 よく果報は寝て待てという言葉があるが、これは、何もしないで待っているのではなく、人事を尽くした後の心境を言っているのである。 しからば、機会が来なければどうしたら良いか、自分から機会を創り出す努力をすることである。 そうすれば好機が到来し、成功につながるであろう。 だが、闇雲に動けば良いということではない。 当然そこには、時期、戦略、戦術というものが必要であることを忘れてはならない。H29-5-10

*「不可能なことはない」と信じ続けなさい。そうすれば信じたとおりの現実に遭遇するだろう。(マーフィー:アメリカの教育者)

「必ずできる」と信じて努力を続ければ、必ず望んだ通りになる。 何事も諦めてはいけない。 だが、信じてさえいれば何とかなるのであれば、誰でも望んだ通りになりそうであるが、実際はなっていない。 それは真から信じていないからである。 信ずるためには努力が必要だ。 努力なくして信じ続けることは不可能だ。 努力が無い場合、たとえ、信じ続けたとしても、そこには必ず、「もしかしたら成らないのではないか」との不安が入り継続できない。 まともな人間であれば当然なことだ。 信ずる為には努力が必要であることを認識し、先ずは、自分を信ずることから始めると良いだろう。H29-5-9

*光ったナイフは草原の中に捨てられていても、いつか人が見出すものだ。(清沢満之:明治時代浄土真宗の僧)

有能な人材は、いつか認められるということである。 会社という組織の中に埋もれていると思っていても、地道に努力し実力を磨いていれば、きっと気づいてもらえるはずだ。 それに気づかないような会社なら、一生を託すほどの会社ではないと言える。 能力ある人であれば、託せるか否かは容易に判断できるであろう。 自分が一生を託せると信じられる会社であれば、腐らずあきらめず、努力を惜しまず働き続けよう。 時期が来れば、必ず自分の出番が現われるはずである。 間違っても、努力を怠り、阿諛追従だけで認められようとしてはならぬ。H29-5-8

*短所を直すにはすごいエネルギーが必要だけれど、長所を伸ばすのは楽である。(山下俊彦:松下電器元社長)

短所とは、癖と同じで長年の生活の中で染み着いたものであるから、これを消し去ったり矯正したりするには、ものすごいエネルギーが必要となる。 長所もまた、短所と同じく、生まれた時から染み着いたものではあるが、これに関しては、消し去る必要はないし、矯正も不要である。 従って、この負のエネルギーを必要としないだけ、比較的楽に伸ばすことができるはずだ。 友よ、自分の短所と長所をよく見極めて、短所は多少の矯正程度に留め、消し去るに必要なエネルギー分を、長所を伸ばす方に積極的に取り組もう。 指導者も、部下に対しては、この気持ちで対処すると良い。H29-5-2

*足るを知るものは富む。(老子:中国の思想家)

欲が無く、分相応に満足できることを知っている者は、心が豊かになり、幸せであるというたとえだ。 物質文明の世の中になって、人々は、持てることが当たり前のように感じ、外見的に持てざる者を一段低く見る風潮になってきている。 最近の婚活の基準が、高学歴、高収入、高身長であるのを見ればそれが分かる。 だが、これだけの条件を具えている者など滅多にはいやしない。 当人たちは、欲の塊のようには感じないのだろうか。 見える所ばかりでなく、たまには、物事の内面を見てみると良い。 そこには、意外と幸せが転がっているかもしれない。H29-5-1

きょうの言葉(5月後半) きょうの言葉は、平日に掲載されます。

*不幸はその過ちを聞かざるにあり。(周書)

人間、一番の不幸は何かというと、自分の過ちを誰も言ってくれないということだ。 人には誰でも過ちはある。 それは仕方がない。 それを改めてゆくところに修行がある。 しかし自分では自分の過ちはわからないものだ。 だから誰かが言ってくれないと困る。 ところがこの過ちを言ってくれる友人というものは少ない 。余程こちらが謙虚な気持ちになっていないと、人は決して過ちを言ってくれない。 良薬は口に苦く、諫言は耳に痛しの言葉があるように、過ちを指摘されるといい気がしないからつい感謝しない。 だから誰も過ちを言ってくれないのだ。 過ちを言ってくれる友に感謝せよ。H29-5-31

*財宝も地位も愛に比すれば塵埃の如し。(グラッドストーン:イギリスの政治家)

ちょっと日本の政治家からは聞けない言葉だ。 政治家に限らず日本の各界の人物からは、容易に聞かれぬ言葉だ。 日本に偉大な政治家や法律家の生れぬ原因はここにある。 日本では愛というものをあまり高く評価していない感がある。 財宝や地位の方をずうっと高く見ている。 従って日本では、たとえ小人であっても政治家や富豪が偉い者のように見られ、先生、先生と敬われている。 悲しいことだ。これから政治家や公僕を目指す者よ、愛を基調とした精神を持って、世に出でよ。 それが社会を明るくする。H29-5-30

*仁者は人の善を見て、人の悪を見ず。(伊藤仁斎:江戸初期の儒者)

仁者とは立派な徳行の人である。 そのような徳行の人というものは、決して他人の短所を見ない。 また他人の悪を見ない。 その善い所ばかり見て、決してその悪い所を見ようとしない。 ところが不仁者、すなわちつまらない人間は、他人の良い所には目をつむって、その短所、欠点のみを求め、探し出して攻撃したり、軽蔑したりする。 世にこれを目糞くそ鼻くそを笑うという。 友よ、我々が他人の良い所ばかり目につくようになったら、我々は立派になっているのだ。 その反対になったら警戒せよ。 私たちはつまらぬ人間になっているのだ。H29-5-29

*汝の敵を愛せよ。(イエス・キリスト)

イエスの有名な言葉である。 私たちはなかなか敵を愛することができない。 愛するどころか憎くて憎くてならない。 そこで敵もまたこちらを憎む。修羅地獄から逃れられない所以である。 本当に自分が幸福になろうと思うなら、我が敵として現われている者を憎まないで愛することだ。 愛そうと努力するのだ。 そうすることによって、敵との争いの地獄から逃れられる。 神でも仏でもない我が身にとって、イエスの如く振る舞うのは難しい。 だが、少しでもそれに近づけようとするところに心の平安が得られる。H29-5-26

*行く末は海となるべき谷川も、しばし木の葉の下をくぐらん。(古歌)

人生大きな成功を成したる人も、初めから幸運ばかりの連続であったのではない。 人生には色々な困難がある。 それを耐え忍んでこそ、やがて順調の幸運も廻ってくるのである。 末は大海となる谷川の水も、しばし木の葉のような小さいものの下をくぐるのである。 大いなる人物、立派な人格者、そのような人の下にばかりついていて出世するのは易しい。 しかしつまらない人間の下にもつかされる時もあり、それを耐え忍んでこそ、人はやがて大いなる徳を持てるのである。H29-5-25

*運の悪い人を笑うな。(キロン:ギリシャ七賢の一人)

言葉は簡単であるが、この言葉は誠に深い意味を持っている。 私たちは運の良い成功者を見ると、反面に嫉妬心は持っていても、なお彼を尊敬したり褒めたりしてしまう。 しかし反対に運の悪い人を見ると、それを無思慮に軽蔑したり嘲笑ったりする。 心ない限りである。 人には天運というものがあり、どのような立派な人でも、正しい人でも、運に恵まれぬ時がある。 運とその人の材徳とは別である。 私たちは、その人の材や徳を、運によって品定めしてはならぬ。 この心得あって、全ての人に接する時、その人は必ず真の有徳者となれる。H29-5-24

*笑いのない人生は物憂い空白である。(サッカレー:イギリスの作家)

笑いのない家というものがある。 全てきちんと整頓されていて塵ひとつない。 しかしどこか冷たいのである。 その反対に襖は破れている、部屋は散らかっている、けれども笑いが満ちている。 子供が大勢いるのだ。 時には母が怒鳴ったりしていることもあるが、それがまた笑いに消されるのだ。 こういう家こそ発展の家である。 友よ、笑いのない人生を持つな。 そこは物憂い灰色の人生である。 過去、大なることを為した人、成功者と言われた人は、貧しい時もあったけど、明るく、笑いのある家に育ったか、築いてきた人たちである。H29-5-23

*汝らはそれ敵を誇らざるべからず。(ニーチェ:ドイツの哲学者)

大抵の人間が、自分の敵を憎むだけでなく軽蔑する。 しかしよく考えてみるとよい。 軽蔑すべきようなそんなつまらない人間を敵とするということは、とりもなおさず自分もまた、つまらない人間と同等と言うことではないか。 本当に自分を高く買うなら、つまらない相手、軽蔑すべき人物を敵としてはならない。 誇るに足るほどの偉大な人物を敵として、初めて真に自分を誇れるものである。 ところで今、わが敵は如何なる者であるか、反省してみよ。 君は初めて真に自分自身を知ることができる。H29-5-22

*人の我にくみせず、我に服せざるは、みな我が誠の足らざるなり、まさに自ら修省すべきのみ。(伊藤仁斎:江戸初期の儒者)

他人が自分に同調してくれず、また自分に服してくれないような時、私たちはともすれば相手を攻撃する。 彼は誠意がないとか、友情が無いとか言って非難するのである。 ところがこれが間違っていると仁斎は言うのである。 悪いのは先方ではない。先方の誠意や友情の不足ではなく、自分自身の徳が足りないからである。 それを反省することが必要だといっている。H29-5-19

*友情は愛せられることより愛することに存在する。(アリストテレス:ギリシャの哲学者)

友情を求める人は多い。 しかしそういう人には案外真の友人がいない。 他人にばかり友情を求めて、自分が進んで友情を持とうとしないからである。 友情とはこのギリシャの哲人が言うように、自分が他人を愛する時に生まれるもので、自分が愛されることを求めているだけでは生ずるものではない。 自分が進んで友情を持つ、そういう人だけがいつでも真の友人を持つのである。 友は決して先方からくるものではなく、自分自身が進んで作るものである。 真友なきを嘆く前に、自分が誰の真友でもないことを恥じよ。H29-5-18

*睦まじくして一片の乾けるパンのあるは、争いありて屠れる獣肉の盈ちたる家に優る。(聖書)

一家は睦まじいということより幸福なことはない。 それは貧富ではない。 ただ一片の乾いたパンしかなくても、その家が睦まじかったらそこは天国である。 たとえご馳走が山のように食卓に満ちていても、その家族に争いがあるなら、そこは地獄である。 我々はどんなに貧しくても良い、家庭の睦まじいことを第一にすべきで、争いある家を作ってはならない。 どんなに富んでいても、その家内に争いがあっては、その人々は決して幸福にはなれないのだ。H29-5-17

*最初の時に人を判断するべからず。(リチャードソン:イギリスの小説家)

人は初対面ですぐその人を判断しやすいものだ。 その人の服装で判断したり、その顔で判断したりしてしまう。 それは危険なことだ。 孔子でさえ、相手が風采が上がらないと言って人格を見損ねたり、弁舌が爽やかということで買いかぶったりしたことが二度ばかりあったと告白している。 いわんや我々のような凡愚な者は、単純に人を判断してはならない。 その人の行いをしっかり見た上で、初めて判断すべきである。 世の中には食わせ者と、隠れたる人物とが多いのだ。H29-5-16

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