カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS

 

軌跡の中で生まれた地球・生物の出現の中で考える命の尊さ

惑星1太陽地球1系の中に地球が出来て46億年、最初は混沌としたマグマの塊だった物が、徐々に冷えてきて、水が発生し、海が形成され、35億年前、その地球にアメーバの如きではありますが生物が発生する環境にまでなるには、多くの奇跡の連続であったと言います。 そこからまた、そのアメーバの如き生物が、何十億年という歳月を掛けて奇跡的な進化を重ね、最後は高度な文明を創造する人間が誕生するに至ります。 宇宙の営みからすれば、地球誕生を始め、この軌跡の連続の中で、1つでも奇跡が起こらなかったら、人類はおろか、生物すら存在しなかったであろうし、地球自体が創造されなかったとしても何ら不思議ではないのです。 地球が無ければ、当然、我々もこの世にいる訳ではなく、無くて当たり前の状況なのに、この世に命を授かったと考えたら、この世に生まれたことだけでも幸せであり、これ以上何を欲しがる必要があるのだろうかと考えてしまいます。

近年、老若男女を問わず、命を粗末にする人達が非常に多くなっているのに気づかされます。 「無くて当たり前だったのだから、自分で自ら失おうが、人の命を奪おうが勝手でしょ。」と考える人もいるかもしれませんが、折角、無い物を与えられたのですから、誰しもその権利を謳歌した方が得であると考えるのが自然ではないでしょうか。 自ら命を絶つ人の大半は、自分だけが恵まれてない、自分だけが不幸で苦しんでいる、だからそこから逃避するため自殺したり、自分が不幸だから他人も巻き添えにということで人を殺めるというような行動に出る人が多いようです。 でも、誰でも悩みごと、苦しいこと、辛いことは同じようにあるのであって、貴方だけが特別ではないと思うのです。 悩みが無いように見える人は、恐らく、悩んで物事が解決するなら幾らでも悩むが、悩んでも事態が変わらないのなら、いたずらにパニックを起こすこと無しに、どうしたら悩みが減るかということに頭を巡らせたり、また自分が如何に恵まれているかを想定することによって解決しているのだと思います。 冒頭に書かれた地球上の奇跡の件も、命を授かったこと事態が何物にも代えがたい幸せだと考えたら、大概の悩みは解決してしまうのではと考えるのは、私だけでしょうか。 そう考えるのは、浅はかな考えなのでしょうか。 私にはそうは思えないのです。

そうは言っても、自分の身体に自信が持てない人、不安のある人達にとっては、「健康な人に何がわかるの。」と叱られてしまいそうです。 弊社では、もし貴方が健康を求めるに当たって、今後どうやって生きて行ったら良いのか分からない、何をやっても面白くない、生きているのが辛いといったような状況にあるようでしたら、共に、それを解決していくためのご相談に乗らせて戴きますので、一緒になって考え、解決していきましょう。

幸運の尺度

貴方は、自分が運の強い人間であると思いますか。 それとも運がない人間だと思いますか。 人間誰しも、この世に生を受けたこと自体が、運の強い人といえるのではないでしょうか。 仮に、自分にゲノム1連れ合い(伴侶)ができ、2人の子を授かったとします。

今度はその2人の子が、共に同じく伴侶を得て、また、それぞれ2人の子を授かり、順次同様に次から次へと26代に亘って子孫を増やしていったとしたら、一体何人になると思いますか。 その数は何と、1億3千400万人の子孫を得るという、言い換えれば自分のDNAが1億3千400万人の子孫に影響を及ぼしているのであって、一族ピラミッドを形成しているのです。 今度はそのピラミッドを、逆さにして考えた場合、今、自分がこの世にあるのは、直系だけでも1億3千400万人の先祖とその同数の伴侶がいて始めて成されたものであって、連れ合いの先祖も含めて、この内の1人でも欠けた場合は、貴方と言う存在は生まれてきてはいないのです。 仮に、途中先祖の誰かが欠けたとしても、一応、一族ピラミッドは形成されるでしょうが、その時は、現在の自分の場所にいる人間は、全く自分とは別の人間であり、現実に貴方が今、存在しているという確立は、まさしく1/と言える本当にラッキーなことなのです。 貴方は、このような低い確率競争を勝ち抜いてこの世に生を授かた訳ですから、そのことにもっと感謝し、今後の人生を大切に、そして楽しく、有意義な人生となるよう努力しなければもったいないとは思いませんか。 

弊社は、貴方がその有意義な人生を獲得するためのお手伝いをさせて戴きます。 

私達と共に歩んで行きましょう。

日本人の美徳・正直者(明治時代の公衆電話より)

公衆電話1公衆電話2明治維新も落ち着き、外国より色々な科学文明が入ってきた時、街路灯や蒸気機関車と共に電話も入ってまいりました。

もちろん初めは、政治家や政府高官、資産家等しか持ってなかったのですが、時代は下り、一般庶民にもということで、公衆電話というものが出てきたのですが、初期の公衆電話は、電話機の横に付いているハンドルをぐるぐる回し、交換手を呼び出し、目的の家や企業、役所、施設等に繋いでもらうようになっていました。

その際、交換手が『幾ら幾ら入れてください。』と言ったら、所定の金額を電話機付属の料金箱に入れ、繋いでもらっていたのですが、この時、入れていなくても『入れました。』と言えば、交換手はそれを信じて繋いでくれたので、幾らでもインチキは出来たそうで、実際にお金を数えてみると、通話料より中に入れられている金額の方が多かったそうです。

これは、その時細かいお金がなく、大きいお金を入れたのですが、つり銭が出ないので、そのままつり銭を取らずに入れたままにしていたと言う結果だったそうです。

この事が、アメリカ特派員の耳に入り、正直な日本人と言うことで、アメリカの新聞にまで掲載され、貧しくとも清く、正しく、美しく』の言葉そのままに、心温まるお話でありました。

しかし、人々の暮らしがだんだん豊かになり、色々な文化や物質に恵まれ始めると、『衣食を足って礼節を知る。』という言葉が反語に聞えるほど、お金を入れずに通話する不逞の輩が増えてまいったそうで、電話局も、これではたまらないと言うことで、コインを入れると通話できると言う、現在と同じタイプの電話機が出てきたと言うことです。

現代の風俗を見てみますと、大人から子供まで、生活には窮乏している訳ではないのに、スーパーやコンビニで万引きが横行し、それを何とも思わぬどころか、他人はどうあれ自分だけがよければ満足と言う人が、最近とみに増えているような気がします。

本来、教育とは、単に勉強が出来るようにするというだけでなく、やはり善悪の判断力や、人を思いやる気持ちを育むと言ったような事も教えていくことではないでしょうか。

でも、「健康な身体に健全な精神が宿る。」という言葉がありますが、人を思いやる気持ち、社会道徳を守る気持ちを持続するには、人並みの収入、遣り甲斐のある仕事が必要で、それを得る為には、やはり心身共に健康である必要はあります。

弊社では、この明治初期に見られたような、昔から日本人が保持していた美徳、現在でも、このような人たちは大勢いるのですが、一部のそれを忘れてしまった人、また、教育を受けてこなかった人達に、正直な日本人の心を取り戻して戴きたいと願い、健康を通じて貢献して行きたいと思っています。

ページトップへ